ジミヘンドリックスのライブ音源としては最も評価の高いバンドオブジプシーズによるフィルモアイーストでの全4回の歴史的ライヴをオリジナルの演奏順でまとめた、未発表曲及び新リミックス曲等全43曲を収録したLP8枚組BOXがアナログ盤で入荷!■Jimi Hendrix / Songs For Groovy Children (The Fillmore East Concerts) [Legacy Recordings / 19075982761]
ジミヘンドリックスのライブ音源としては最も評価の高いバンドオブジプシーズによるフィルモアイーストでの全4回の歴史的ライヴをオリジナルの演奏順でまとめた、未発表曲及び新リミックス曲等全43曲を収録したLP8枚組BOXがアナログ盤で入荷!■Jimi Hendrix / Songs For Groovy Children (The Fillmore East Concerts)
[Legacy Recordings / 19075982761]
在庫なし
商品詳細
■新品/輸入盤/180g重量盤/8枚組ボックス。
■盤質/ジャケット:S 未開封品。※こちらは未開封品ですが、シュリンクに破れ少々ありますので予めご了承ください。
ジミ・ヘンドリックス 『Songs For Groovy Children: The Fillmore East Concerts 』
バンド・オブ・ジプシーズによるフィルモア・イーストでの全4回の歴史的ライヴをオリジナルの演奏順でまとめた、未発表曲及び新リミックス曲等全43曲を収録したLP8枚組。
わずか4年という歳月の間に、ジミ・ヘンドリックスは息を呑むような速さでロック界に誰もがなしえなかった刻印を残してきた。モンタレー・ポップやウッドストックでの劇的で忘れ難い名演と並び称されるフィルモア・イーストでのヘンドリックスの伝説的ライヴは、輝かしいキャリアの中でも限りない可能性に満ちた重要なターニング・ポイントとなっている。2日に渡って行なわれた4回の圧倒的コンサートで、ジミ・ヘンドリックスとビリー・コックス、バディ・マイルスがロックとR&Bとファンクの垣根を打ち破り、何を作り出そうとしていたのか明らかになる。これらの演奏は当初、1970年1月1日の2回のライヴからドラマチックでキーとなる曲「マシン・ガン」など含め全6曲をまとめた『バンド・オブ・ジプシーズ』として、1970年4月に発売。豊かなアレンジ、ロックとソウルの力強いミックスチャーでヘンドリックスの多くのファンを驚かせ、沸き立たせた。
1969年6月、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは人気の絶頂期にあったにもかかわらず解散。ヘンドリックスは8月のウッドストックで演奏するために新たに大規模なバンド、ジプシー・サン&レインボウズを組み、新しいステップを踏み出す。この大所帯のバンドには、1962年にケンタッキー州フォート・キャンベル第101空挺部隊で共に従軍していたときに仲良くなった長年の友人、ビリー・コックスがベースで参加していた。ジプシー・サン&レインボウズは短命だったが、10月にバンド・オブ・ジプシーズが正式に生まれた。メンバーはヘンドリックスとビリー・コックス、そしてエレクトリック・フラッグのドラマーであり、ときとしてリード・ボーカルも担当するバディ・マイルス。ヘンドリックスは彼等とのコラボレーションに刺激を受け、「パワー・オブ・ソウル」や「バーニング・デザイア」、そして画期的で創造性に満ちた「マシン・ガン」のような、進取の手応えある曲が生まれることになる。バンド・オブ・ジプシーズのデビュー・ライヴは1969年大晦日と1970年元旦の2日間にマンハッタンのフィルモア・イーストで行なわれた連続4回のコンサートで、その全てのステージが本格的にレコーディングされた。ヘンドリックスはわずか9ヶ月前にマジソン・スクエア・ガーデンをソールドアウトにしていたが、フィルモア・イーストをライヴ録音の場に選ぶ。無名だった1965年10月、ヘンドリックスはスタジオ・ミュージシャンとして1枚のアルバムだけに出演するものと思ってある契約にサインする。PPXインダストリーズが作ったそのたった一枚のアーティスト契約は、不幸にして3年もの間彼の活動を拘束したのである。縛られることを望まないヘンドリックスは1968年に法的和解に応じ、次のアルバムの配給権はキャピトル・レコードに委ねられた。1969年秋までにキャピトルとPPXはアルバム引き渡しを激しく要求するようになっており、ヘンドリックスは彼らにライヴ・アルバムを提供することを決めた。 自由をこよなく愛するギタリストにとってこんな法的義務は極めてストレスの多いものだったに違いないが、皮肉なもので結果として見事な作品に結実する。ジミは4回公演の初回を今までに発売されたことがない11曲でスタートさせる。「イザベラ」、「イージー・ライダー」、「バーニング・デザイア」のようなエキサイティングな新曲は満員の会場を沸かせた。ヘンドリックスは残る3回のショーでも「ストーン・フリー」、「紫のけむり」、「ファイア」といった人気曲を新解釈で披露したり、「マシン・ガン」ではまったく新しい展開を見せたりして力強い表現で圧倒させた。元旦の2回目のコンサートを見たダウン・ビート誌の評論家、クリス・アルバートソンはライヴ評に「楽器の持つ技術的な可能性を余すところなく利用する特筆すべき才能が、豊かな音楽的想像力と結びついて、ジミを傑出したパフォーマーにしているのだ」と書いた。
[LP1]
12/31/69 1st Set
A1. Power of Soul
A2. Lover Man
A3. Hear My Train a Comin'
B1. Changes
B2. Izabella
B3. Machine Gun
[LP2]
A1. Stop
A2. Ezy Ryder
A3. Bleeding Heart
B1. Earth Blues
B2. Burning Desire
[LP3]
12/31/69 2nd Set
A1. Auld Lang Syne
A2. Who Knows
A3. Fire
B1. Ezy Ryder
B2. Machine Gun
[LP4]
A1. Stone Free
A2. Changes
B1. Message to Love
B2. Stop
B3. Foxey Lady
[LP5]
1/1/70 1st Set
A1. Who Knows
A2. Machine Gun
B1. Changes
B2. Power of Soul
B3. Stepping Stone
B4. Foxey Lady
[LP6]
1/1/70 1st Set
A1. Stop
A2. Earth Blues
A3. Burning Desire
1/1/70 2nd Set
B1. Stone Free
B2. Power of Soul
[LP7]
1/1/70 2nd Set
A1. Changes
A2. Message To Love
B1. Machine Gun
B2. Lover Man
B3. Steal Away
[LP8]
A1. Earth Blues
A2. Voodoo Child (Slight Return)
A3. We Gotta Live Together
B1. Wild Thing
B2. Hey Joe
B3. Purple Haze
■盤質/ジャケット:S 未開封品。※こちらは未開封品ですが、シュリンクに破れ少々ありますので予めご了承ください。
ジミ・ヘンドリックス 『Songs For Groovy Children: The Fillmore East Concerts 』
バンド・オブ・ジプシーズによるフィルモア・イーストでの全4回の歴史的ライヴをオリジナルの演奏順でまとめた、未発表曲及び新リミックス曲等全43曲を収録したLP8枚組。
わずか4年という歳月の間に、ジミ・ヘンドリックスは息を呑むような速さでロック界に誰もがなしえなかった刻印を残してきた。モンタレー・ポップやウッドストックでの劇的で忘れ難い名演と並び称されるフィルモア・イーストでのヘンドリックスの伝説的ライヴは、輝かしいキャリアの中でも限りない可能性に満ちた重要なターニング・ポイントとなっている。2日に渡って行なわれた4回の圧倒的コンサートで、ジミ・ヘンドリックスとビリー・コックス、バディ・マイルスがロックとR&Bとファンクの垣根を打ち破り、何を作り出そうとしていたのか明らかになる。これらの演奏は当初、1970年1月1日の2回のライヴからドラマチックでキーとなる曲「マシン・ガン」など含め全6曲をまとめた『バンド・オブ・ジプシーズ』として、1970年4月に発売。豊かなアレンジ、ロックとソウルの力強いミックスチャーでヘンドリックスの多くのファンを驚かせ、沸き立たせた。
1969年6月、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは人気の絶頂期にあったにもかかわらず解散。ヘンドリックスは8月のウッドストックで演奏するために新たに大規模なバンド、ジプシー・サン&レインボウズを組み、新しいステップを踏み出す。この大所帯のバンドには、1962年にケンタッキー州フォート・キャンベル第101空挺部隊で共に従軍していたときに仲良くなった長年の友人、ビリー・コックスがベースで参加していた。ジプシー・サン&レインボウズは短命だったが、10月にバンド・オブ・ジプシーズが正式に生まれた。メンバーはヘンドリックスとビリー・コックス、そしてエレクトリック・フラッグのドラマーであり、ときとしてリード・ボーカルも担当するバディ・マイルス。ヘンドリックスは彼等とのコラボレーションに刺激を受け、「パワー・オブ・ソウル」や「バーニング・デザイア」、そして画期的で創造性に満ちた「マシン・ガン」のような、進取の手応えある曲が生まれることになる。バンド・オブ・ジプシーズのデビュー・ライヴは1969年大晦日と1970年元旦の2日間にマンハッタンのフィルモア・イーストで行なわれた連続4回のコンサートで、その全てのステージが本格的にレコーディングされた。ヘンドリックスはわずか9ヶ月前にマジソン・スクエア・ガーデンをソールドアウトにしていたが、フィルモア・イーストをライヴ録音の場に選ぶ。無名だった1965年10月、ヘンドリックスはスタジオ・ミュージシャンとして1枚のアルバムだけに出演するものと思ってある契約にサインする。PPXインダストリーズが作ったそのたった一枚のアーティスト契約は、不幸にして3年もの間彼の活動を拘束したのである。縛られることを望まないヘンドリックスは1968年に法的和解に応じ、次のアルバムの配給権はキャピトル・レコードに委ねられた。1969年秋までにキャピトルとPPXはアルバム引き渡しを激しく要求するようになっており、ヘンドリックスは彼らにライヴ・アルバムを提供することを決めた。 自由をこよなく愛するギタリストにとってこんな法的義務は極めてストレスの多いものだったに違いないが、皮肉なもので結果として見事な作品に結実する。ジミは4回公演の初回を今までに発売されたことがない11曲でスタートさせる。「イザベラ」、「イージー・ライダー」、「バーニング・デザイア」のようなエキサイティングな新曲は満員の会場を沸かせた。ヘンドリックスは残る3回のショーでも「ストーン・フリー」、「紫のけむり」、「ファイア」といった人気曲を新解釈で披露したり、「マシン・ガン」ではまったく新しい展開を見せたりして力強い表現で圧倒させた。元旦の2回目のコンサートを見たダウン・ビート誌の評論家、クリス・アルバートソンはライヴ評に「楽器の持つ技術的な可能性を余すところなく利用する特筆すべき才能が、豊かな音楽的想像力と結びついて、ジミを傑出したパフォーマーにしているのだ」と書いた。
[LP1]
12/31/69 1st Set
A1. Power of Soul
A2. Lover Man
A3. Hear My Train a Comin'
B1. Changes
B2. Izabella
B3. Machine Gun
[LP2]
A1. Stop
A2. Ezy Ryder
A3. Bleeding Heart
B1. Earth Blues
B2. Burning Desire
[LP3]
12/31/69 2nd Set
A1. Auld Lang Syne
A2. Who Knows
A3. Fire
B1. Ezy Ryder
B2. Machine Gun
[LP4]
A1. Stone Free
A2. Changes
B1. Message to Love
B2. Stop
B3. Foxey Lady
[LP5]
1/1/70 1st Set
A1. Who Knows
A2. Machine Gun
B1. Changes
B2. Power of Soul
B3. Stepping Stone
B4. Foxey Lady
[LP6]
1/1/70 1st Set
A1. Stop
A2. Earth Blues
A3. Burning Desire
1/1/70 2nd Set
B1. Stone Free
B2. Power of Soul
[LP7]
1/1/70 2nd Set
A1. Changes
A2. Message To Love
B1. Machine Gun
B2. Lover Man
B3. Steal Away
[LP8]
A1. Earth Blues
A2. Voodoo Child (Slight Return)
A3. We Gotta Live Together
B1. Wild Thing
B2. Hey Joe
B3. Purple Haze
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